2000年5月29日オンエアー
ちっちさんの
JOYFM(FM宮崎)“イブニングレディオJJ”
レポート
インタビュアー:米谷 奈津子アナ
今回、全国100公演のなかで宮崎は20公演目。当日は18時40分に始まり、21時50分終了というロングライブ。
今日5月25日が20歳の誕生日ということで
「ステージ上でも、間違ってんだけど、はたち、はたちっていいながら実際は19歳なんですけど、僕らのバンドは、数えでやってるからそれでいいんです。ほら、厄年とかもそうじゃないですか(笑)。古来からあるバンドですから、スターダストレビューは。
昔は笛とか笙とか入ってんだけど、あまり人数が多すぎたんで、縮小して、5人にしたんです。(あ〜それで今の形になったんですね:米谷さん)そう、だから、笛とか笙とかの人数入れると、700人ぐらいいます、スターダストレビューは”(要さん談・後ろで他のメンバー、爆笑)二十歳で、今日が20公演目、ということで
「全部、20つながりだったんだね、でもね、スターダストレビューのステージっていうのは、他の県にいくとあんなんじゃないんですよ、みんなおとなしくてね(爆笑),僕らがいくら笛吹けど、踊らずって感じで、でも宮崎は何なんでしょうね。毎回すごい盛り上がりで。こんなとこ、宮崎のほかはね、えーと、あと40箇所ぐらいかな」(後ろから“おいおい、それじゃ全国じゃねえかよ”とVOHさんのつっこみ)
「でも、今日はまた、特別だったと思う。お客さんも我がことのように楽しんでくれていた」と要さん。
「ほんとに楽しかったですよ、何でこんなに楽しいんですか?」(米谷さん)
「そんなに楽しかったですか。心から笑うことって、たまにある。それはきっと心が開放された、ってことですよ、多分。」(要さん談)
今日はひとつ怒られたことがある、とのこと。
「ステージが長すぎる。おまえら10時までやるなっ!!って(笑・舞台監督さんにだそうです)もね、あれは自分達で仕掛けたんですよ、“20周年、おめでとう”って。最初たてに読んじゃって、解りませんでしたけど(笑)」
(確かに。たてに2文字ずつの看板 全部あくと2行にわたって
という看板だったので・・・)
◎このパネルは、本当にメンバーには内緒だったらしい。このパネルが出たとき、それまでずーっとしゃべってた要さんがその場にうずくまって何もしゃべれなくなってしまい、しばらくの無言のあと「・・・なにこれ。いつ作ったの、こんなに忙しいのに」という言葉を聞いたとき、メンバーとスタッフの固い絆を感じた、と米谷さんがおっしゃってました。 「いい歌を作る人たちは、こういう人たちなんだなと思いました」(米谷さん談)
さて、インタビューは続いて、要さんにマイクが渡ってメンバーそれぞれから今日の感想と20周年を迎えての一言まずはパーカッションのVOHさん「え〜」それはすごいなあ、と要さんからのつっこみに「まだ何も言ってないんだけど!!」
「今日はスタッフのたくらみに、目頭が熱くなってしまった。宮崎にはじめてきたのは85年の1月、コンテストのゲストか何かで、今はなき市民会館にきたこととかを思い出した。それから会館も変わり、“時間がたった”ことを感じながら今日は演奏していた。また、お客さんのテンションも高くて、アカペラのときの客席からの声はこの20公演の中で最大だったのでは。でも、本当に楽しかった」(VOHさん談)
すかさず要さんから突っ込み「自分が楽しんでちゃいけないですよ、プロなんだから、お客さん楽しませないと(おいおい、そういう問題じゃないだろとVOHさん反論してました)」
「それでは次、ベースの方」(要さん)
名前くらい柿沼って言ってくれよ、とご本人、もしかしてうちのバンド名前もいえないほど仲悪いのかよと嘆くVOHさん。
「ベースの柿沼です(笑)きょうのお客さんの歓声はダントツだった。(降ってくるような歓声だったそう。)それに載せられてリーダーのしゃべりもすごかった。 “林家ペーです!” なんて自分を落ちに使うとは・・・・つかみはOKって感じでとにかく、自分も楽しみました」
「あなたも楽しんじゃったんですか・・・、どうでした、ドラムの方は(笑)」(要さん)
「ドラムの寺田です(笑)。宮崎は毎回お客さんがすごいってわかってたけど、やっぱりすごかった。感動しました。20年目の記念すべき日をライブのいい場所で迎えられてうれしかった。」
「いい話ですね。宮崎じゃなかったら、こんなライブにはならなかったでしょうね(またまた、お上手!)じゃ、次、キーボードの方」(要さん)
「キーボードの光田です。名前は健一、健康一番といいつつ不健康なんですが、何でしたっけ、あ、20年ね。20年長かったですよ(君はやってないよと要さん、柿沼さんのWつっこみ)今日の感想は・・・今日は宮崎に泊まらないのが残念。」
「そうなんだよね。それば残念だ。僕はこの街に来はじめて、昨日やっと芋焼酎のおいしさがわかった(笑)いままで臭くてだめだったんだけど、慣れちゃった、もうね、芋じゃないとだめ(笑)」(要さん)
「今日ははじめからあんまりにも気持ちよくて、やる前からそういう気持ちになっていたのか、会館を軽く走ろうと思い外に出たら、沼地?があるよね(ああ。なんかありまね・・・と米谷さん いらしていた皆さん気づかれたでしょうか。後ろに貯水池があるんですよ)。え、何、この街の人知らないの?それはいけないなあ。じゃ俺が名づけよう(笑)えーとね、柿沼って言うのはどう?(爆笑)昔ね、あそこにベースを落とした人がいて、そしたら水の神が出てきたんだよ“おまえが落としたのはこのフェルナンデスか、それともこっちのフェンダーかって”(メンバー大爆笑)ちょっとマニアックだったかな?」(要さん談)
(※『フェルナンデス』と『フェンダー』はギターやベースの有名なメーカー名)
1曲歌って欲しい、との米谷さんのリクエストに「宮崎だったらこの曲でしょう」と、アカペラで“ふるさと”を披露。
「俺らは気持ちが高ぶっちゃって。この歌がすべてです。僕らにとってふるさとのような街で20周年目に突入という記念すべき日を迎えられてほんとに幸せでした。どうもありがとうございました。」(要さん談)
本当はもっと長いインタビューだったと思いますが、放送は以上のような内容でした。次から、あの貯水池のことを“柿沼”と呼ばなくては・・・・
ちっちさん、どうもありがとうございました。